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注:ほぼ自分のための覚書&殴り書きです
フランスでは新聞社の襲撃や立てこもり事件で犠牲者が出て、市民は大規模な追悼デモを行った。他にも数えきれないくらい、たくさんの事件や事故で命を失った人々が世界中にいる。いつもなら気に留めてもすぐ忘れてしまうような出来事にも敏感になってしまうのは、ちょっとだけ生と死を考える時間があったからかもしれない。大袈裟にするのは嫌だし具体的な病名を話すと相手の反応が想像できるので、周りの人には少しだけ曖昧な表現で伝えてみたりした。さすがに職場のトップはごまかせないので正直に伝えたけれど、そのトップも話を聞いた途端に表情が一気に暗くなったのを覚えている。転職してたった1年でこんなことになってすみませんという気持ちでいっぱいになった。発覚してから入院するまでは本当に仕事が忙しくて、自分のことを考える暇もなかった。やっと一段落して、長期休養に入り、遠方の両親が来てくれて、やっと手術するってことを頭が認識したような感じ。それまではもう31年間もやりたいことやって生きたいように生きてきたんだから、結果がどうであろうといいじゃないなんて、今思えば精一杯の虚勢と強がりでそんなことを思っていた。
手術を終えて、やっぱりと言うべきか、考え方は変化した。ベッド上で動けない状態から、ひとつひとつできることが増えていく過程で、やりたいことも行きたい場所もとめどなく浮かんできた。今まで何気なくルーチン仕事でしてきたこと、これからはもっとこうしてあげようとかこうすればよかったとか思い返す機会になった。何よりも自分がたくさんの人に支えてもらってたことに、心から感謝した。本厄の2015年も自分らしくマイペースに、会いたい人にいっぱい会って楽しく過ごしていけたらいいな。